4−19 忍ぶれど「籠神社」

夢を見た。
 
わたしは白い砂浜の上に座り、膝を抱えて海を見ている。足の近くまで波が寄せては、触れるか触れないかのところでまた引き返していく。水平線は果てしなく、空と海の境界はあいまいに溶けていた。
 
「何を考えているんですか」
 
ふと見ると、白いきつねがわたしの隣に座っていた。その神妙な面持ちと対照的に、赤い前掛けは踊るように風に揺れている。
 
「京都は、広いなぁって」
 
わたしはもう一度、水平線に視線を戻した。
 
「今までいろいろな場所に行ってきたけれど、それでもまだ全然巡り切れないなって。このまま卒業しちゃうんだなって思ったら、悔しくて」
 
「たった4年ぽっちじゃ、そんなものですよ」
 
こん様はあきれたように鼻を鳴らした。
 
「京都を離れると決めたのはあなた自身でしょう。新たな出会いもあるでしょうし、また違った写真が撮れるかもしれない。失うものより、これから得るものに目を向けてはどうですか」
 
「そうですよね。そうなんだけどなぁ」
 
わたしは煮え切らない返事をして空を仰いだ。太陽は遠く、眩しさは感じない。
 
「彼のことですか」
 
こん様が静かに聞いた。わたしはうなずく代わりにゆるく笑った。
 
「わたし、何も望んでいないんです。このまま一緒に京都を巡って、それが卒業してからも続けば、それだけでいいと思ってる。だから想いを伝える必要なんてない。そう、決めたはずなのに」
 
変化なんて求めていない。ただ、今の関係が変わらず続けばいい。願っているのは、それだけなのに。
 
「みっちゃんに、『琴子の気持ちはどこに行くの』って言われて、ああ、そうだなぁ……って」
 
2羽のかもめが、何かを訴えるように鳴きながら、水平線のかなたに飛んでいった。どこに向かって飛んでいるのか、何のために飛んでいるのか。心の中で問いかけても、答えてはくれない。
 
「『すき』は確かに特別で、大事に取っておきたくて、だからこそ、心の奥にしまっておきたいのに。卒業して会う機会が減ったら、同じ鮮度で持ち続けるのは難しくなるのかなって。もしかしたら、その方がいいのかもしれない。だけど」
 
「……さみしい、ですね」
 
こん様が、ぽつりとつぶやいた。
 
「すきなものを、すきでなくなるのは」
 
足の指先が、かすかに波に触れた。
 
「別に、初めてじゃないのに」
 
冷たさを感じる前に、波はまた海へと戻っていく。
 
「小さい頃すきだったアニメのグッズももう集めてないし、高校の時仲がよかった子とも、もう連絡は取ってないし。だからこれも、いつものことだって受け入れないと。しばらくしたら同じように、『すき』の熱量なんてなくなってると思うし、だから」
 
「同じじゃないでしょう」
 
強い口調で、こん様が言った。
 
「これは、あなたの初恋でしょう」
 
振り向くと、こん様は真剣な眼差しでわたしを見ていた。
 
「大事に、大事にしないと」
 
波の音が大きくなった。わたしとこん様を覆うほどの大きな波が、どんどんこちらに押し寄せてくる。
 
口を開いた瞬間、声は波音にかき消され、意識だけが深く沈んでいった。
 
 
 
 
 
目を開けると、和室の天井から四角い照明の紐が垂れていた。寝ぼけたまま身じろぎをすると、隣の布団でみっちゃんが寝息を立てている。現実が脳に染み込んでくるにつれ、少しずつ頭が冴えてきた。
 
物音を立てないよう布団を抜け、カーテンの隙間から漏れる光に導かれるように、窓際まで歩いていく。そっと外を見ると、黒々としていた海はまた美しい青色に染まっていた。朝のまばゆい光が、海だけでなく街全体を輝かせている。まだ夢の名残りが消えないのか、どことなく霞んでいるようにも見えた。
 
「おはよう」
 
振り向くと、みっちゃんが上半身を起こしていた。
 
「おはよう。起こしちゃった?」
 
「ううん、実はちょっと前から起きてた」
 
みっちゃんはそう言うと、近くにあった携帯電話を手に取った。
 
「朝ご飯、もう食べられるね」
 
「昨日あれだけ食べたのに、もうおなかすいた」
 
「あたしも」
 
簡単に身支度を済ませて、わたしたちは朝食会場へと向かった。白米に味噌汁、だし巻き玉子、地魚の干物。夕飯と同様、贅沢な朝食で胃袋を満たし、わたしたちは旅館をあとにした。
 
「じゃあ、行こうか」
 
重たい体を運転席に滑り込ませ、シートベルトを体に巻きつけた。
 
「なんか、ちょっとおなか苦しい」
 
「分かる」
 
みっちゃんの言葉に笑いながら、アクセルを踏み込む。少しだけ開けた窓から、心地よい風が入ってくる。
 
15分ほど車を走らせて、籠(この)神社に到着した。正式名称は「丹後一宮 元伊勢 籠神社」で、三重県にある伊勢神宮の元宮とされる神社らしい。かつて天照大神と豊受大神がこの地で祀られ、その後それぞれ伊勢へ遷ったという故事から、「元伊勢」と呼ばれているそうだ。
 
参道に入ると、左右に伸びた松の枝が空を覆うように広がり、朝の光を細かく砕いていた。石畳の上には濃い影がまだらに落ち、その先に白い鳥居が立っている。海の近くにいるはずなのに、境内へ近づくほど潮の気配は遠のき、代わりに木のにおいと、ひんやりした静けさが体に触れた。
 
「立派な神社だね」
 
「ほんとだね。さすが元伊勢」
 
わたしは白い鳥居にカメラを向けた。シャッターボタンを押すと、目の前に広がる景色が四角く切り取られ、液晶画面に収まった。
 
まっすぐな参道を進んでいくと、神様に見守られているような気がして、自然と気持ちが引き締まっていく。鳥居をくぐったら、両側に佇む狛犬と目が合った。案内板には「重要文化財」の文字がある。
 
「狛犬が重要文化財って、めずらしいね」
 
「確かに。調べてみよう」
 
みっちゃんは携帯電話を取り出すと、なにやら文字を打ち込み始めた。
 
「あった。魔除けの石造狛犬」
 
魔除け、とわたしは繰り返した。みっちゃんは画面に視線を落としたまま続けた。
 
「昔、この狛犬には作者の魂がこもっていて、夜になると天橋立に暴れ出て、通行人を驚かせていたんだって。そこに、仇討ちのためにこの地を訪れていた岩見重太郎が来て、一夜待ち伏せをした。狛犬の脚に一太刀浴びせると、それ以来、狛犬は社頭に還って、魔除けの狛犬として霊験あらたかになったらしい」
 
「へぇ、おもしろいね」
 
「しかも、その刀傷が阿形の狛犬の右前脚に今も残ってるって」
 
わたしたちは口を開けた阿形の狛犬に近づいた。
 
「これのことかな」
 
「え、こっちじゃない?」
 
「いや、両方か?」
 
あれこれと言い合っているうちに、なんだかおかしくなってきた。みっちゃんが先に吹き出し、つられるようにわたしも笑いながら先へ進んだ。
 
拝殿の前に立ち、お賽銭を入れて手を合わせた。叶えたい願いが一つ、ふいに頭をよぎったけれど、今ここで願うのは違う気がして、やめた。「みっちゃんとまたここに来られますように」と、手に届くくらいの願いを告げて目を開ける。
 
「よく『日本人は無宗教』って言うでしょ」
 
両手を合わせたまま、みっちゃんは拝殿の奥を見ていた。
 
「だけど初詣には行くし、お守りは買うし、食事の時には『いただきます』『ごちそうさま』って言うしさ。そのくらい、神様って身近なものなんだよね」
 
「そうだね」
 
大学に入るまで、神社は初詣やお祭り時に行くものだと思っていた。だけど京都にいると、神社もお寺もあたりまえのようにそこにあった。
 
「ちょっと前まで神社とかお寺って特別な場所って感じてたけど、もっと気軽に行っていい場所なんだなって。京都に住んでから、そう思うようになったよ」
 
「そうだよね。たくさんまわって、たくさん写真を撮ってきたんだもん。琴子は特にそう思うよね」
 
すごいよ、ほんと。そう言われて、わたしは少し誇らしくなった。
 
入学と同時に買ったパソコンには、今まで撮った写真のデータがすべて残っている。最初は少ししかなかったし、増やす予定もあまりなかった。それなのに今は、整理しきれないくらいたくさんの写真がある。誰かにとっては、大したものではないのかもしれない。わたしは単なる学生で、大きな賞を取ったわけでもない。写真がすきな人はどこにでもいる。カメラを持っている人もそこら中にいる。
 
それでも、わたしは撮った。誰かに言われたからではない。長い時間をかけて、自分で足を運び、自分の意思で写真を撮った。それはまぎれもない事実で、誇るべきことで、それだけは、誰にも否定できない。
 
わたしの物語を、誰かに否定されてなるものか。
 
 
 
 
 
神社を出て、傘松公園へ向かうためリフトに乗った。昨日よりも恐怖心は薄れ、後ろを振り返る余裕も生まれた。
 
傘松公園はビューランドほど広くはなく、ゴーカートや観覧車もなかった。天橋立は昨日と変わらずそこにあるのに、街並みが近くに見えるせいか、印象が少し違って見える。
 
「ねぇ、これやらない?」
 
みっちゃんがそう言って、「かわらけ投げ」の看板を指さした。ビューランドにもあったのを見かけたけれど、ゴーカートやアーチェリーで遊んでいたら、結局やらずに終わってしまった。
 
「いいね、やろう」
 
素焼きの小皿を輪の中に通すと願いが叶うという。みっちゃんが勢いよく投げた1枚は、輪の外ぎりぎりを通って落ちていった。
 
「ああー、ちくしょう」
 
「惜しい、頑張れ!」
 
「ちょっと、集中するわ」
 
みっちゃんは真剣なまなざしで輪を見つめ、もう一度投げた。2回目は失敗したが、3回目は見事、輪の真ん中を通って落ちていった。
 
「すごい、やったね!」
 
「じゃあ、次は琴子の番ね」
 
わたしは右手にかわらけを持って輪を見据えた。神護寺でも、間崎教授とかわらけ投げをした。あの時と同じように、わたしの皿は少しも飛ばずに落ちていく。
 
まるでわたしの恋心みたいだ。どれだけ想っても、何にもならずに消えていく。きっと想いを伝えたところで、受け入れてもらえることはないのだろう。ありがとう、でも、すまない。そうやって目を伏せる教授の顔が、容易に予想できてしまう。ずっと近くで教授を見てきた。教授がどんな時に笑い、どんなことに惹かれ、どんな風に傷つくのか。それを想像できるくらいには、わたしは教授のことがすきだった。
 
結局かわらけは1枚も輪の中を通らずに、風の中へ落ちていった。
 
「残念だったね」
 
みっちゃんが慰めるように言った。わたしは小さくうなずいて歩き出した。
 
「AmaTerrace(アマテラス)」という展望施設に入ると、傘松公園公式キャラクター「かさぼう」のグッズや、丹後ちりめんの小物、地酒、海産加工品まで、さまざまなものが販売されていた。
 
「間崎教授へのお土産、どれにするの?」
 
「甘いものがすきだから、お菓子にしようかなぁ」
 
「子供かよ」
 
みっちゃんがあきれたように笑う。本当だね、とわたしも笑った。でもね、そんなところがすきなんだ。顔に似合わず甘いものがすきだったり、完璧そうに見えて朝が弱かったり、そういうところが、どうしようもなく、すきなんだ。
 
悩んだ末、教授にはクッキーを買うことにした。定番すぎるかとも思ったが、これなら文句を言われることはないだろう。
 
朝食をしっかり食べたおかげで、昼を過ぎてもなかなか空腹を感じなかった。わたしたちは下りのリフトに乗って神社に戻り、境内の中にある「茶房かむながら」に入った。10月とはいえ、ずっと外にいると暑くなってくる。いちごソーダを飲んでバニラアイスを口に入れると、疲労がするすると抜けていった。
 
 
 
 
 
いつまでもここに留まっていたいけれど、そうも言ってはいられない。運転をみっちゃんに交代して、わたしたちは帰路に着いた。
 
高速道路を走っているうちに、空はどんどん暗くなっていった。楽しい時間ほど、あっという間に過ぎてしまうのはなぜだろう。時間は水のように指の間からこぼれ、手元に留めておくことはできない。みっちゃんとの旅も、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
 
「昨日の夜の話だけどさ」
 
みっちゃんが、ささやくように口を開いた。
 
「蒸し返してごめんね。あたし、琴子のことすきだよ」
 
前の車のテールランプを見ていたわたしは、みっちゃんの横顔に視線をずらした。
 
「恋愛的な意味じゃなくてさ。なんていうか、人として? ……あたしがすきって伝えたら、琴子は迷惑?」
 
「そんなわけないよ。わたしも、みっちゃんのことすきだし」
 
「やった、両思いだ」
 
嬉しいな、とみっちゃんは笑った。 
 
「愛って、いろんな形があると思うんだよね。だから、付き合いたいとかじゃなくても、すきって気持ちは伝えていいと思うなぁ。今じゃなくても、卒業する時にさ。感謝の気持ちに包んだら、案外さらっと伝えられるかもしれないし。写真がすき、と同じくらいの軽さで、伝えてみるのもありかなと思って」
 
子守唄のような優しい口調で、みっちゃんは話す。暗がりの中、彼女の輪郭だけがぼんやりと光って見えた。
 
「あたしたち、まだ大学生じゃん? 卒業したら、いっぱい出会いがあると思うんだ。その中で、間崎教授よりすきな人ができるかもしれない。その時に、『なんだ、大してすきじゃなかったのかも』、『そういうすきじゃなかったのかも』とか思うかもしれないでしょ。だからこそ、あんまり重たい意味を持たせずに、ただ伝えるっていうのもいいかもなって思ったんだ」
 
まあ、琴子が決めることだけどさ。みっちゃんが、余白を残すようにつけ足した。
 
どこかで聞いたような洋楽が、わたしとみっちゃんを包んでいた。どこで聞いたのか分からない。曲の名前も思い出せない。
 
わたしは窓の外を見た。窓の外に広がる、黒い空を見た。星はささやかな光を放ち、月は雲に隠れてぼんやりとしている。空はこんなにも身近にあるのに、月がどれほど離れているのか、星がどんな色をしているのかわたしは知らない。それと同じように、わたしの気持ちがどこに行くのか、どんな人生を歩むのかも分からない。わたしの未来はまだ、幸福も不幸も約束されていない。
 
「……そうだよね」
 
だったらわたしは、この気持ちを胸に抱えていてもいいのかもしれない。むりに手放したり、消えてなくなるのを待たなくても、ただ大切に心の中にしまって、ほんのひとかけらだけでも、教授に渡していいのかもしれない。
 
「すきって、悪いことじゃないもんね」
 
「そうだそうだ」
 
この想いはきっと、抱えていてもじんわりと染み出しているのだろう。知らないうちに、教授まで届いているのかもしれない。もしかしたら教授は、とっくの昔にわたしの気持ちに気づいていて、知らないふりをしているのかもしれない。あの人は優しいから。優しくて、冷たい人だから。
 
そっと指先で頬に触れた。すん、と鼻をすする音がしたけれど、みっちゃんは何も言わなかった。
 
車は低い音を立てながら、夜の高速道路を進んでいく。みっちゃんと歩いた白い砂浜も、夢の中で聞いた波の音も、ゆっくりと過去に遠のいていった。
 

テーマ #神社 #公園
季節 #秋

名称 元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)
主祭神 彦火明命
創建 不詳(有史以前)
住所 京都府宮津市字大垣430
アクセス https://www.motoise.jp/access/
開門時間

午前8時00分~午後5時00分(変更あり)
※季節や土日祝など、時間が延長になる場合があります

TEL 0772-27-0006
URL https://www.motoise.jp
参考 最新の情報はHP等でご確認ください。

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