4−3 鳥にしあらねば「ゴスペル」

春のキャンパスは華やかだ。桜が景色に色を添える中、初々しい新入生が溢れ、サークルや部活の勧誘で活気づいている。
 
毎年この時期は履修登録に頭を悩ませていたが、今年はその心配がない。卒業に必要な単位はほぼそろっているので、あとは卒業論文を残すのみとなっている。代わりにあるのは、就職活動という未知の戦場だ。
 
戦で勝つにはまず、情報収集が肝心だろう。その日は重たい腰を上げ、大学内で行われる合同企業説明会に参加していた。
 
「どうだった?」
 
いくつかの企業をまわったあと、会場から出たみっちゃんがわたしに尋ねた。
 
「いや、なんかピンと来ない」
 
首を捻りながらそう答えると、みっちゃんは「あたしも」と力ない声を出した。
 
「どれがいいとか全然分かんないよね。全部同じに見える」
 
「分かる。途中からあんまり聞いてなかった」
 
時刻を確認すると、午後2時を過ぎたところだった。2時間近くいたというのに、頭の中には何も残っていない。形だけ開いたメモ帳を見返すと、「風通しがいい」とか「残業ほぼなし」とか、どうでもいいことばかり書いてあった。カバンに溢れている資料だって、帰宅したら棚の奥にしまわれる予感しかしない。
 
外に出ると、春の陽気にふらりとめまいがした。疲れ果てたわたしたちの横を、新入生が晴れ晴れとした顔で通り過ぎていく。どうして顔を見ただけで新入生だと分かるんだろう。年齢がそう離れているわけでもないのに、入学したという誇りと未来への希望で満ち溢れているからだろうか。今のわたしたちは、新入生の目にはどう映っているのだろう。
 
「気晴らしにカフェでも行かない? 疲れちゃった」
 
みっちゃんの一言で、わたしたちは自転車に乗ってキャンパスを離れた。やってきたのは鹿ケ谷通にある「GOSPEL(ゴスペル)」という喫茶店だ。
 
蔦に覆われた洋館は、まるでお城のようだった。四条大橋近くの東華菜館など、数々の名建築を生み出したウィリアム・メレル・ヴォーリズ。ゴスペルは、ヴォーリズの理念を継承した建築事務所の設計だという。
 
階段を上がっていくと、高い天井のある空間が広がっていた。レトロな造りのキッチン、ピアノ、レコード、照明、カーテンまでもが、まるで海外の古い映画に出てきそうな雰囲気だ。
 
京都は本当に、ふしぎな街だ。日本の歴史を感じる場所が数多くある一方で、外国のような建物もある。和と洋、現在と過去が混じり合い、絶妙なバランスで調和している。
 
わたしたちは窓際にある赤いベロアのソファに腰掛けた。そばにある本棚には、日本の古い書物が並んでいる。これもまた、粋というやつだ。
 
わたしはスコーンを、みっちゃんは洋梨のタルトを頼んだ。上品なトレイで運ばれてきた童話のようなスイーツを見ると、心にほんのり赤みがさす。
 
「そもそもさ、今までずっと学生だったんだから、どの会社がいいとか全然分かんないよね」
 
ぷりぷりと不満を漏らしながら、みっちゃんはタルトをナイフで切り分けた。
 
「基本給とか説明されても、それが高いのか低いのかよく分かんないし。手取りがいくらくらいになるのかも分かんないじゃん。あと『みなし残業』って何? 何をみなすの? 全国転勤ありってさらっと言ってたけど、どのくらいのスパンで変わるの? 人柄重視って何? 履歴書と短い面接であたしの何が分かるの?」
 
わたしはスコーンにジャムを塗りながら、みっちゃんの口から出る銃弾のような言葉を受けとめた。
 
「みっちゃんはどの業界がいいとかあるの?」
 
「うーん、今のところ興味があるのはファッションとか化粧品メーカーだけど、それでいいのかなぁって感じ。琴子は?」
 
「まだ全然。どれも興味が湧かなくて」
 
「カメラは?」
 
スコーンを口に運ぼうとした手がぴたりととまった。考えなくは、ないけど。わたしは皿に目を向けたままぼそぼそと答えた。
 
「わたしの技術がどれだけ通用するのか分からなくて。本当にカメラマンを目指す人は専門学校に行ったりするだろうし。それに、やっぱり最初はあんまり稼げないのかな、とか、小さい会社が多いのかな、とか」
 
「小さい会社でも、すきなことを仕事にできるならいいんじゃないの?」
 
「まあ、そうなんだけど。でも、うちの大学って大手に入社する人も多いでしょ。そういうの、ちょっと考えちゃう」
 
わたしはなるべく平坦な口調で言った。間違ったことは言っていないはずだ。わたしたちの通う大学は、社会的に十分な評価を得ている。人生の選択肢が広がるように。そう考えて入学した。大学に合格が決まった時、家族は泣いて喜んでくれた。わたしのことを誇らしいと言ってくれた。
 
別に、大学名を鼻にかけたいわけじゃない。だけど、たとえば美容の専門学校に通った人が美容師になるような、そういう一本に繋がった道を歩むべきではないのか、それが家族のためなんじゃないか。そういう邪(よこしま)なプライドと子供心がちらついてしまう。
 
みっちゃんは「そうだよねぇ」とため息混じりにうなずいた。
 
「学歴が大事とかいうけどさ、それが逆にネックになる場合もあるもんね。中小だと、逆に『どうせうちが第一志望じゃないんでしょ』って思われたりするっていう話も聞いたことあるし。100社くらいエントリーして、書類選考通ったのも半分だとか」
 
「えっ、そんなに大変なの?」
 
「らしいよー。先輩が言ってた」
 
みっちゃんが大げさに肩をすくめた。
 
「でも、大学外の人からは楽勝でしょって思われるんだろうね。確かに大学名って武器にはなるけど、それでも全然簡単じゃないのにね」
 
「そう、だよね」
 
就活情報サイトを何時間も見ても、企業説明会に参加しても、未来はぼんやりと靄がかかったままだ。あれがしたい、これが見たい、あそこに行きたい。普段だったら、そういう欲求はありあまっているはずなのに、仕事となるとぽんっと手品のように消えてしまう。サイコロすら振ることができないまま、同じマスの上でじっとしているような感覚だ。何かしなきゃ、踏み出さなきゃ。そう思うのに、体が前に進まない。
 
帰宅してパソコンを開いたけれど、どれだけ画面をスクロールしても、目新しい情報は得られなかった。今はまだ、その時ではないのだろう。そうむりやり結論づけて、ごろりとベッドに横たわる。
 
先日、母と進路について少しだけ話した。すきなことは、仕事とは別にしておくものよ。お父さんを見なさい。趣味だからこそ、ああやって生き生きと写真を撮っているの。すきなことを仕事にすると、息抜きができなくなって苦しくなるから。
 
母の言うことも一理ある。小学生の頃からずっと、わたしは写真を撮ることがすきだった。自分で撮った写真は、どれも自分好みの出来栄えだった。以前みっちゃんが言ったように、フォトコンテストに入賞してもしなくても、それは審査員の好みとわたしの好みが合致した・しないの問題なのだと思うことができた。わたしの実力不足ではないと、思い込むことができた。
 
もし写真を撮る職業に就いたとして、わたしは今のように楽しめるのだろうか? 京都以外の風景を、わたしは愛せる? 見知らぬ家族を、魅力的に撮影できる? 好みではない服や料理を撮影して、美しいと思える?
 
わたしはごろりと寝返りを打ち、枕に顔を押しつけた。導いてくれる人は誰もいない。すべてを投げ出して、どこかに飛んでいくこともできない。答えが出ないまま、時間だけが無情に過ぎていった。
 

店名 ゴスペル
住所 京都市左京区浄土寺上南田町36
アクセス 市バス「銀閣寺前」「銀閣寺道」下車5分
TEL 075-751-9380
営業時間 12:00〜18:00
定休日  火曜定休
URL https://www.instagram.com/p/BgKkRGhlLF3/
注意 最新の情報はHP等でご確認ください。

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