4−5 恋しき人に「うめぞの」
夏の気配が濃くなると、獰猛な太陽がわたしを焼き尽くすように照りつけてきて、空を見上げるのがいやになった。
カラフルな服を着ている人たちの間を、黒いスーツとパンプスで歩いていく。慣れないヒールのせいで、足には常に絆創膏が貼られていた。スーツもストッキングも暑苦しくて、今すぐ脱いでしまいたかった。
面接は、大阪で行われることが多かった。片道約2時間かけて会場に向かい、たった数分で終わる面接は、絹ごし豆腐のように弾力がない。お祈りメールが来るたびに、ショックというより腹が立った。好意もないのに周囲に言われるがまま告白したら、こっぴどく振られたような気分だった。
就職活動の大変さは、人によってまったく違う。数社受けただけでさくっと内定が取れる要領があれば、きっと大してつらくはない。「何とかなる」と気楽に構えれば、余裕を持って進めることができるだろう。
どちらでもないわたしは、少しでも気になった企業にエントリーし、面接に追われる日々を送っていた。どれだけ入念に企業研究をしても、志望理由を考えても、手ごたえを感じても、まったく成果は得られない。泳ぎ方も知らないのに大海に放り出されたようだ。何もしないと体が沈んでいくだけなので、とりあえず手足を動かしてバタバタしている。これでは溺れているのと変わらない。進む方向すら分からず、息苦しさは増すばかりだ。
「写真って、今は携帯電話でも十分じゃない?」
とある面接で、面接官のひとりにそう聞かれた。今では広告も携帯電話で撮ることが多いみたいだし、画質もかなり上がってるよね。カメラってお金もかかるし、持ち運びも大変でしょ。
濁りのない声でそう言われて、わたしは反論できなかった。そうですねぇ、なんてへらへら笑って、両手を固く握り締めることしかできなかった。別の面接で「うちの娘もフォトコンテストで入賞したんだよ。まだ高校1年生なんだけどね」なんてつけ足された時には、悔しさでどうにかなりそうだった。わたしの唯一の武器は、わたしだけの武器ではないと思い知らされた。
その手の会話は面接官に限らず、会場で出会った同じ就活生と話す時にも発生した。
将来はカメラマンになるの? 入賞経験はあるの? 僕の知り合いが入賞してね。この写真、小学生が撮ったんだって。この青もみじの写真、秋に撮った方がいいんじゃない? だって紅葉してるし。 こっちの写真、もっと明るい方が映えると思うよ。わたしのアカウント、フォロワー1万人いるの。え? カメラなんて持ってないって。携帯電話で適当に撮っただけだよ。
どれも、悪意がないことは理解していた。事実と感想を述べただけで、わたしを傷つけようという意図はない。分かっているからこそ、反論することも怒ることもできない。身の丈に合わないプライドを持っていると思われたくなかった。
こういうことが予想できたから、わたしは今まで安易にカメラの話をしてこなかったのだ。写真を見せるのは、家族を除けばみっちゃんと間崎教授くらいで、SNSに写真を投稿することもなかった。わたしのことを深く知っている人。わたしのことを上辺だけで判断しない人。わたしの写真を、肯定してくれる人。そういう人にしか、写真を見せてこなかった。
だけど就職活動では、どうしてもカメラ抜きに自分を語ることはできない。だってわたしにはこれしかない。本当は、何も話したくなんかない。たった数分の持ち時間で、一体何を語れというのか。わたしのカメラへの愛は、かけてきた時間は、ダイジェストなんかにできやしない。それを初めて会った人に、大して親しくもない人に、正しく伝えるすべをわたしは知らない。でも、それでも、わたしの個性はこれしかないから。写真がすきで、写真を撮っています。そうやって伝えないと、わたしという人間を表現できないから。だから仕方なく、わたしの一番秘めておきたい部分をさらしている。
どれだけ自分を犠牲にしても、それに見合った結果はついてこない。「すごいですね」と褒められても、合格通知は届かない。興味がない素振りを見せられても、それはそれで心に傷がつく。「その質問はいやです」「答えたくありません」そう強気で言えたらいいのに、就活生という立場がそれをさせない。優秀だと言われる学歴を手に入れても、形だけ「成人」になっても、21歳という若さは、大学生という肩書きは、大人と対等に話すには、あまりにも弱い武器だった。
その日は、いつもに増して体が重かった。のろのろとスーツに着替えて家を出る。一乗寺駅に着く頃には、暑さで額に汗が滲んだ。出町柳で京阪電車に乗り換え、河原町で阪急電車に乗り換える。京阪電車で淀屋橋駅まで乗ってもいいが、面接会場を考えて今回はこちらのルートにした。始発駅なので、確実に座ることができるのはありがたい。
電車に揺られながら、窓の外を眺めた。会社のホームページを見返すつもりだったのに、何もする気になれなかった。ただ、ゆっくりと呼吸だけをしながら、流れていく景色を見つめ続ける。
電車が桂駅でとまった。乗客がぞろぞろと降りていく。これから観光地を堪能するのだろう。みなラフな格好で笑顔を浮かべ、全身に希望をまとっている。
わたしも、ここで降りたいな。思わず腰を浮かせたら、隣に座っていた人が前に伸ばしていた足をきゅっと縮めた。わたしが立ち上がる前に、ぷしゅーっと空気が抜けるような音を立てて扉が閉まった。ゆっくりと電車が動き出し、わたしは力なく座り直した。
電車は鈍く走り続けて、わたしを京都から遠ざけていく。背筋がぞっと冷たくなって、わたしは桂駅を振り返った。だけどもう、駅は見えないほどはるか遠くにある。わたしは背もたれに深く体を預けた。
そのまましばらく、電車の揺れに身を任せていた。目は開いているのに何も見えない。耳は何の音もキャッチしない。隣の人が動く気配がして、はっと息を吹き返す。気づけばもう、高槻市駅を過ぎていた。
携帯電話を取り出して、今日の面接会場を確認する。会社の電話番号を見た瞬間、キャンセルしてしまおうか、なんて甘い考えが脳裏をよぎった。どこかの駅で降りて、「体調不良です」と電話をしたら、きっと今すぐ家に帰れる。気分が優れないのは本当だし、受かる保証なんてないんだから、その方が時間をむだにしなくて済むかもしれない。
そう思ったところでわたしは、それができないことを知っている。幼い頃からずっとそうだ。変なところで頑固で、正義感が強く、上手に手を抜くことができない。面接会場に行かなかったら、後悔するのを知っている。あきれるくらい要領が悪い。
余計な思考を追い払うように、わたしはぎゅっと目を閉じた。もう何も考えたくない。これ以上、心に傷を増やしたくない。今すぐ京都に帰りたかった。家の近くには恵文社があり、少し歩けば金福寺がある。大学に行けばみっちゃんや間崎教授がいる。小さなパン屋も、外国人向けのおかしな土産屋も、急に現れる神社の鳥居も。故郷と同じ温度でわたしを包む。
知らない土地は、おそろしいな。京都に越してきた時は、こんなことは思わなかったのに。なぜだろう。学生から社会人という、得体の知れない存在になるのがこわいのかもしれない。わたしはきっと怯えているのだ。だってわたし、これからどこに行くのか分からない。
疲れがわたしの意識を深いところまで沈めていく。教授と、ホットケーキを食べたことを思い出した。蛸薬師通にある、町屋を改装した「うめぞの」というカフェだった。箸で食べる抹茶のホットケーキはふわふわとしていて、口に含めばすぐに溶けた。教授は満足そうにそれを食べていた。大人の男の人が甘いものをおいしそうに食べるのが、なんだかちぐはぐでおかしかった。いとおしいと思った。
どうして弊社を受けたんですか。どの部署に行きたいですか。どんな仕事をしたいですか。
ここ最近、わたしは嘘ばかりついている。人の役に立ちたいとか社会を支えたいとか、どこかで見かけた舌触りのいい言葉ばかりを並べて、嘘くさい笑みを浮かべている。わたし、いつからこんな嘘つきになったんだろう。
本当は、どこにも行きたくない。ずっと京都に留まって、都合のいい夢を見ていたい。甘いものを食べて笑う教授が見たい。神社やお寺の写真を撮りたい。みっちゃんと一緒に、河原町で買い物をしたい。
卒業したら、今まであたりまえにできていたことが、全部できなくなってしまう。それでわたしは幸せなのか、それが成長するということなのか。今のわたしには分からない。
揺らいだ心を落ち着かせようと、財布につけたお守りに触れた。教授がわたしに買ってくれた。わたしのために、選んでくれた。
教授、教授。間崎教授。
どこか、わたしの知らない場所に連れていって。子供だねと笑われてもいい。幼稚だとばかにされてもいい。わたしだけが知っている、わたしにしか見せない顔で、どうかわたしを叱ってください。
間崎教授、会いたいです。
エリア | #烏丸御池・四条河原町 |
テーマ | #食事処・カフェ |
季節 | #夏 |
店名 | うめぞの CAFE & GALLERY |
住所 | 京都市中京区不動町180 |
アクセス | 京都市営地下鉄四条駅、阪急京都線烏丸駅下車徒歩7分。 烏丸駅から471m |
TEL | 075-241-0577 |
営業時間 | 11:30 - 19:00 |
URL | http://umezono-kyoto.com/cafe/ |
注意 | 最新の情報はHP等でご確認ください。 |