4−4 火にも水にも「藤森神社」
買い物に行く途中、青いあじさいを見かけた。去年、間崎教授とあじさいを見にいけなかったことを思い出す。約束はしていたものの、教授が体調を崩して行けなくなってしまったのだ。今年は一緒に見にいきませんか。そうメッセージを送ると、教授からはすぐに了承の返事が来た。
4回生になった途端、教授と顔を合わせる機会がぐんと少なくなった。もう単位はほぼそろっているので、講義を取る必要がないからだ。教授と会うためには、こうしてわざわざ予定を立てるしかない。
わたしは教授と、どうなりたいのだろう。いい加減「すき」という自覚は出てきたし、この感情が恋という類のものであることも分かっている。サトウくんの時とは明らかに違う感情が、心の中に確かにある。だけど相手は教授だし、わたしよりはるかに年上だ。成就するとは思っていないし、そうあってほしいと願うことすら滑稽に思えた。
とにもかくにも、まず集中すべきなのは就職活動だ。余計なことを考えている暇はない。目先の問題からこつこつと、解決していかなければならない。
6月に入り、就職活動はますます本格化していた。入学式の時に買った無地のスーツを引っ張り出すと少し埃っぽくて、希望に満ちたあの頃と比べてずいぶん安っぽく、喪服のように思えた。
履歴書用の写真は、写真スタジオで撮ることにした。就活は写真が大事だ、最近のスタジオでは修正もしてくれるからお金を惜しむな、なんて情報を目にしたからだ。顔が明るく見えるから前髪は分けた方がよい、長い髪はきっちり一つにまとめること、メイクは濃すぎず薄すぎずナチュラルなものがよい、不安ならヘアメイクも手配すべき、なんてあれこれ書いてあるので、プランを選ぶだけでも膨大な時間を要した。
当日はカメラマンに「笑って」「笑いすぎ」「もっと自然に」なんてあれこれ指示を出され、できあがった何十枚もの写真を画面に表示されて「どれがいい?」と聞かれたけれど、正直どれも違いが分からない。適当に選ぶと、カメラマンは頼んでもいないのに美肌補正をかけ、顔の輪郭を一回り小さくした。盛りすぎだろ、と思いつつも何も言えなかった自分が情けない。むだに美化された清廉なる「就活生」の写真が並んでいるのを見たら、金太郎飴のようだな、と乾いた笑いが漏れた。
相変わらずやりたいことは不明確なままだが、ひとまず少しでも気になった企業にエントリーシートを送ってみることにした。いくつかの企業からはぽつぽつと返事が来て、あれよあれよという間に面接の日程が入り、就活という大きな嵐に巻き込まれていくのを感じた。
1社目は食品メーカーだった。食べることがすきという単純な理由を引っ提げて挑んだ。面接は終始なごやかに行われ、わたしが何か答えるたびに面接官は保育士のようににこにことうなずきながら聞いていた。志望動機も学生時代頑張ったことも長所も短所も、滞りなく答えられたと思う。
きっと大丈夫だろうなんて安心していたら、3日後に不採用の通知が届いた。末尾には「御坂様のこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げます」と添えられていて、噂に聞くお祈りメールをもらったことに落ち込みもしたが、まあどうしても入りたい会社というわけでもないし、最初からうまくいくわけもないか、とむりやり自分を納得させた。スーパーでそのメーカーの商品を見かけた時は、なんとなくいやな気分になった。
2社目は映画会社で、これもなんとなくおもしろそうというふわふわした理由だった。こちらは男女ふたりずつ、合計4人での集団面接が行われた。同じような髪形で、同じようなリクルートスーツに身を包んでいるわたしたちは、どこからどう見ても典型的な就活生だった。
「御坂さんは、カメラが特技だと書いてあるけど」
それぞれがお手本のような志望動機を述べたあと、面接官のひとりがそう尋ねてきた。
「はい。小学生の頃から写真を撮っていて、特に京都の風景を撮ることがすきです」
想定していた質問に、想定していた答えで返す。面接官たちは「すごいねぇ」「渋いねぇ」なんて感心したように言った。さらに言葉を続けようとしたら、面接官はわたしから目を逸らし、「この、趣味のところにある『シャーロック・ホームズ』っていうのは?」と言った。
質問されたのはわたしの隣にいた、いかにもスポーツマンという感じの、体格のよい男性だった。
「実はわたくし推理小説がだいすきでして、普段からシャーロック・ホームズのコスプレを嗜んでおり」
「ほう!」
面接官が身を乗り出した。目がきらきら光っている。その後、彼は深夜まで小説を読んでいて遅刻した話、謎解きイベントに挑戦した話、イギリス旅行をした話などをしてその場は大いに盛り上がり、そのまま面接は終了となった。言わずもがな、その会社からもすぐに不採用通知が届き、きっとあの男の人は通ったんだろうな、なんて思いながら、そのメールをごみ箱フォルダへと移動させた。
どうやら面接というものは、質問に上手に答えればいいというものではないようだ。そう思ったわたしは、撮影した写真を何枚か印刷して、3社目の面接時に持っていった。
「カメラが得意なんですか?」と聞かれた時、わたしは印刷した写真を手際よく見せ、「写真が与える印象は一つではない」「たとえば知識の有無によって見方が変わってくる」「写真と知識は切っても切り離せない。知識があることで深みが出ると、大学生活で学びました」という、間崎教授が言いそうな台詞をつらつら並べた。今までより数倍濃厚なプレゼンテーションだったと思うが、面接官たちの反応は芳しくなく、「へぇ」と中身のない相槌だけ打たれて終わった。こちらの企業からも、ご丁寧に未来をお祈りされた。
そんな感じで、就活のスタートは散々だった。なるほど、これが就活というものかと、ゲームの説明書を読むように納得し、まだ始まったばかりだと自分を慰めた。結局一マスも進まないまま、時間をむだに過ごしている。
「ちょうど見頃だな」
色とりどりに咲き誇るあじさいを見て、教授が声を弾ませた。わたしはそうですね、とむりやりテンションを上げ、気持ちを切り替えるように肩を回した。
「三室戸寺もきれいでしたけど、ここもたくさん咲いていますね」
教授が連れてきてくれたのは、伏見区にある藤森神社だった。朝早いというのに、あじさいを求める人たちで賑わいを見せている。
1回生の時、三室戸寺でもあじさいを見た。永観堂にいたわたしは突如教授に呼び出され、慌てて宇治まで行ったのだ。あの時はなんて自分勝手な人だと思ったが、結果、行ってよかったと思った。ハートのあじさいを見つけ、伊藤久右衛門で茶そばを食べて、興聖寺の琴坂を堪能した。まだ3年しか経っていないのに、懐かしさが溢れた。
カメラを構え、シャッターを切る。こうして撮影するのも、教授と出かけるのも久しぶりで、この日を心待ちにしていたはずなのに、なぜかいつもより腕が重たい。天気もいい。あじさいもきれい。教授もいる。これ以上ない条件がそろっているはずなのに、どうしてだろう。ふっと笑みがこぼれてもすぐに消えてしまう。空に打ち上がった花火のように、楽しい気持ちが持続しない。
あじさい苑を出ると、大きな馬の像を見つけた。今にも走り出しそうな躍動感がある。
「どうしてこんなところに馬が?」
「藤森神社には、勝運と馬の神様が祀られているんだ。競馬関係者の参拝も多いそうだよ」
よくよく見ると、あじさいが敷き詰められた手水舎には馬の頭の像があり、口から水が流れ出ている。うさぎだらけだった岡崎神社を思い出した。
藤森神社は、「菖蒲の節句」発祥の地でもあるそうだ。菖蒲の節句とは端午の節句の別名で、気候が不安定な時期を乗り切るために、菖蒲が用いられたのだという。この「菖蒲」が「勝負」に由来し、勝運の神様となっているそうだ。
本殿にお参りをする時、いつもより長く目を閉じた。どうか、無事就職先が決まりますように。未来が、確実なものになりますように。
まだ、行き詰っているわけではない。就活は始まったばかりだし、最初からうまくいくわけがない。そう、決定的な何かがあったわけではないのだ。大丈夫、わたしはまだ大丈夫。始まったばかりだし、時間だってたっぷりあるし。そうやって、日々自分に言い聞かせている。
幸い教授は、就活に関することは何も聞いてこない。「最近どう?」なんてことも言わないし、「焦る必要なんてないよ」というような類の慰めも言ってこない。出会ったばかりの頃なら、わたしに興味がないからだと考えたかもしれない。だけどきっと、そうではない。わたしの焦りや悩みは隠していたって漏れているもので、それを感じ取っているからこそ、普段通り接してくれているのだ。そんな気遣いが、今はありがたかった。
あじさい以外にも、藤森神社には見どころがたくさんある。「不二の水」は地下約100メートルから湧き出るご神水で、武運長久、学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されているそうだ。
「不二の意味、覚えてる?」
「もちろんです。『唯一無二』って意味ですよね」
「正解」
ついこの間、東寺で不二桜を見た。新たに得た知識がわたしの脳になじんでいることに気づき、安堵する。不二の水は飲料水としても利用できるようで、水汲みをしている人も何人かいた。
すぐ近くには七福神の像があった。
「この七福神は?」
「元禄時代、藤森祭で七福神行列というものが行われていてね。この藤森七福神は、七福神行列の復活を祈念して奉納されたそうだ」
恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人。教授がすらすらと七福神の名前を述べていく。
わたしだって、もちろん七福神は知っている。だけどいざ名前を言おうとすると喉から出てこない。肉じゃがを知っていてもすぐにレシピが思い浮かばないように、知っていることと理解していることは明確に違うのだと、己の未熟さを思い知る。
藤森神社にあじさい苑は二つある。本殿に近い二つ目のあじさい苑を見終えた時、本殿前に人が集まっていることに気がついた。
「そういえば、今日は神事があるんだったな」
ふと思い出したように教授が言う。そのまま見ていると、神職の方々がぞろぞろとやってきた。笛の音が空気を裂くように鳴り響き、時折太鼓の音もそこに混じっている。しばらくすると、ひとりの女性が本殿前にあじさいを献花した。続いて献茶も行われたあと、神職の方による祝詞が奏上され、巫女による神楽も奉納された。あじさい祭の期間中には、蹴鞠や太鼓など、さまざまな奉納が行われるのだという。
「いい日に来ることができてよかったですね」
「撮影しがいがあったな」
意図していたわけではないが、特別な写真が撮れた。シャッターを切った分だけ知識が増える。経験がわたしを強くする。今はそう信じたい。
藤森神社には、さまざまな種類のお守りがあった。勝馬守や駈馬守のほかに、「うまくいく守」なんてものもある。「馬」と「うまくいく」をかけているのだろう。せっかくだから、一つ買って帰ろうか。そう思っていたら、教授が先に代金を支払っていた。
「何を買ったんですか」
尋ねると、教授は二つのお守りをわたしに見せた。一つは病気平癒守、もう一つは福馬守である。
「どこか悪いんですか」
「この時期はよく風邪を引くから」
教授はそう言いながら、福馬守をわたしに差し出した。
「こっちは君にあげよう」
「いいんですか」
ありがとうございます。戸惑いながら受け取って、わたしはお守りを見つめた。デフォルメされた馬がひょっこりと顔を出した、かわいらしいデザインだった。両手でお守りを包み、宝物のように胸に抱いた。大丈夫だと、言われたような気がした。
家に帰ってすぐ、教授からもらったお守りを取り出した。どこにつけようとあれこれ考えた結果、財布につけることにした。カバンだと落としてしまうかもしれないし、カメラにはこん様がいる。
写真を編集しようとパソコンを開くと、先日応募した会社から面接の案内が来ていた。スケジュールを確認して、都合のいい時間帯を返信する。
今まで日常だったことが息抜きになっていることに気づき、就活というものがいかにわたしの日々に食い込んでいるかを痛感した。こわいな、と思う。今までの日常が侵食されて、新しい日常に塗り替えられていく。卒業したら、教授と過ごす日々すら塗り替えられてしまうのだろうか。教授と会うことすら、特別なことになってしまうんだろうか。
どこかで雷鳴がとどろき、窓の外を見た。さっきまであんなに晴れていたのに、空には灰色の雲が立ち込めている。立ち上がって窓に近づくと、瞬く間に雨が降り出した。遠くの方で、雷が夜を分断している。わたしは目を逸らすようにカーテンを閉じた。
名称 | 藤森神社(ふじのもりじんじゃ) |
主祭神 | 素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇など |
創建 | 伝・神功皇后摂政3年(203年) |
住所 | 京都市伏見区深草鳥居崎町609 |
アクセス | JR奈良線JR藤森駅、もしくは京阪本線墨染駅から徒歩5分。 |
TEL | 075-641-1045 |
URL | http://www.fujinomorijinjya.or.jp |
参考 | 最新の情報はHP等でご確認ください。 |