4−6 風吹かば吹け「地蔵院」
前髪がずいぶん伸びたな。メイクをしていたわたしは、鏡に映る自分を見てふと動きをとめた。美容院に行くのが面倒というのもあるが、就活では前髪を下ろすより分けたほうがいい、額が見えた方が明るく見える、なんてどこかで聞いたものだから、めずらしく伸ばしっぱなしにしていた。人生で一番長いかもしれない。前髪を指で梳いて、似合わないな、と思った。似合わない、こういうの。本当に。
その日は某企業の説明会が入っていた。メイクをしてスーツに着替え、パンプスを履いたところで、ぷつんと電池が切れた。ドアノブにかけた手に力が入らなかった。行かなくちゃ。頭では分かっているのに、どうしても玄関の扉が開けられない。時間をかけて会場に行って、ただ疲れて帰ってくる夕方の自分が想像できてしまった。行かなくちゃ、サボるのはよくない、でも行ったところで何になる? 大して入りたくもないくせに。そんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡って、気づけば手を下ろしていた。説明会には、行かなかった。
就職活動の状況は芳しくなかった。最終面接に進んだ企業もあったが、未だ内定は一つも取れていない。薄っぺらい志望動機を並べる自分にも、試すような圧迫面接をしてくる企業にも嫌気が差した。
「やっぱりカメラが向いてるんじゃない?」
お互いの近況を報告し合ったら、みっちゃんにそう言われた。わたしだって、考えなかったわけじゃない。どうあがいたってわたしの特技はカメラしかないわけで、カメラに関する仕事は適職とも言える。
つい先日、撮影スタジオの求人を見つけて応募した。そこは社員が数人にも満たない小さな会社で、わたしの履歴書を見るなり「賢いんですねぇ」と感心しているのか皮肉っているのか分からない言葉を発し、わたしの写真を見て「すごいですねぇ」とこれまた味のないガムのような感想を言い、最後に「うちは商品撮影ばっかりですからねぇ」とやわらかな拒絶とも取れることを言われて面接は終わった。結果は言うまでもない。
見返りのある努力がすきだ。勉強とか、カメラ、とか。結果はどうあれ、自分の成長が実感できる。
就活は、いやだ。頑張っても報われるとは限らない。お祈りメールが来るたび、「おまえはいらない」と言われている気がするし、いや、実際にそう言われているのだし、人間性すらも否定された気分になる。
どこかに出かけたい。写真を撮りたい。わたしは今、気分転換がしたかった。足にかかった泥水を払いたかった。みっちゃんも忙しくしているだろう。そう思って、間崎教授にメッセージを送った。どこか、しっとりとして、心が洗われるような場所はありませんか。そんな、抽象的なお願いをしてみた。教授からはすぐに返事が来た。予定を合わせて日程を決めた。はやる気持ちを抑えながら、わたしは部屋を飛び出した。
運がいいのか悪いのか、空には重たい雲が垂れ込み、普段より暑さはやわらいでいた。上桂駅を降りて、歩くこと約10分。湿った風の中に青葉のにおいが混じっているのを感じ、わたしは顔を上げた。
住宅街に突如、深い緑のトンネルが現れた。参道の両脇に連なったもみじの葉が、灰色の空を覆い隠している。幹のまわりには影が濃く沈み、空気までもが色を失ったようだった。
「行こうか」
教授の一言で、ひゅっと酸素が喉に入る音がした。一瞬、呼吸を忘れていたのだと気づいて、隣にいる教授を見上げた。教授は大学で見る時とは違う、好奇心を含んだやわらかい表情を浮かべている。あ、日常が戻ってきた。わたしと、教授の日常が。あたりまえの日々が戻ってきて、わたしはその最中にいる。わたしは前を向いて、大きく一歩を踏み出した。
太陽の弱い光を浴びた緑が艶やかに揺れて、わたしの顔に光と影を交互に落とす。わたしたち以外に人影はない。すぐ近くにある嵐山エリアは、いつだって人で溢れているのに。少し離れるだけで、こんなにも呼吸がしやすいのか。
浄住寺、というらしい。嵯峨天皇の勅願寺として開創され、公家である葉室家の菩提寺として栄えたお寺だそうだ。秋には紅葉が美しく、隠れた名所となっている、と教授が教えてくれた。これだけもみじが多いのだから、紅葉もさぞきれいなのだろう。
「何ですか、この形」
歩いていると、変わった形の竹が目に入った。
「亀甲竹。めずらしいでしょう」
教授が言った。その名の通り、表面が亀の甲羅のようになっている。わたしはカメラを向けてシャッターを切った。ずいぶん久しぶりに写真を撮ったような気がした。
まっすぐな道を進んで、階段をゆっくりと上っていく。本堂の前で手を合わせてお参りをした。建物の中には、限られた時期にしか入れないらしい。
「武者隠しって知っているか」
「お城とかにあるやつですか? 確か、護衛の人が隠れる時に使う……」
昔、どこかで見たことがある。子供向けのアニメか絵本で知ったのかもしれない。教授は「そう」とうなずいた。
「浄住寺の方丈にも武者隠しがあって、床の間の壁に設けられた穴から抜け出せるしかけが残っているんだ」
「へぇ、おもしろそう。見てみたかったなぁ」
わたしは振り返り、今歩いてきた道を眺めた。今日、わたしはこの景色しか知ることができない。この景色しか、撮ることができない。ケーキの最後の一口をおあずけされているような、楽しみと悲しみが入り混じった気分だ。
浄住寺から数分歩いたところに、地蔵院というお寺があった。こちらは「竹の寺」ともいうそうで、その名の通り空に向かってまっすぐ竹が伸びている。
1回生の時に行った、竹情荘を思い出した。竹はまっすぐしなやかに育つ強さも持っているが、同時に、風に揺られる弱さも持っている。それが、「竹情荘」の名前の由来だと。
あの時何気なく聞いていたその言葉が、重みを増して胸に響く。わたしはそよ風にすら吹き飛ばされてしまいそうで、未来に向かってまっすぐ進むこともできない。
浄住寺は境内のみだったが、地蔵院は建物の中まで入ることができた。
「ここには、君も知っているものがあるよ」
知識を試すように教授が言った。一体何だろう。少し緊張しながら中に入ると、ハートの形をした窓が目に飛び込んできた。正寿院で見たものより少し丸っこい。この窓の名前を、わたしは知っている。
「猪目窓?」
「正解」
もう、無知ではないね。何気なくつけ足された言葉に、はっとした。シャッターを切ろうとした手がとまる。心がずしりと重たくなった。なぜだろう。褒められて嬉しいはずなのに。ずっと、褒められたかったはずなのに。わたしは小さく首を振った。後ろ向きな気持ちは、頭から追い出してしまいたい。
一通り写真を取ってから、わたしたちは庭を眺めた。地蔵院の庭は十六羅漢の庭と呼ばれ、十六羅漢の修行の姿を表わしているそうだ。小雨に濡れた苔の緑は深みが増し、長い年月がこの庭に積もっているのだと思った。
幼い頃に来たら、この空間のよさが分からなかったかもしれない。わさびのおいしさとか、クラッシックとか、伝統芸能とか。年齢によって受け取り方が変わり、今まで見えなかった一面が見えてくることがある。本当の魅力に気づくためには、出会う時期が重要なのだろう。
派手な装飾がなくても、きれいな花が咲いていなくても、心を満たすことはできる。花が散る瞬間を愛で、雨が降る時間を慈しむように、しっとりとした楽しみ方がある。そう気づいたのは、大学生になってからだ。
わたし、こんなことをしていていいのかな。ぼんやりと庭を眺めていたら、不安が強風のように襲いかかってきた。今頃他の就活生は、説明会や面接に行っているだろう。内定を取っている人も少なくはない。それなのにわたしは、わたしだけ、こんなところでのんびりしていていいのだろうか。
「地蔵院は、一休禅師が幼少期を過ごした寺としても知られているんだ」
わたしの不安を知ってか知らずか、教授はゆったりとした口調で言った。
「それって、あの一休さんですか」
わたしもつられて、いつも通りの調子で尋ねる。教授といると、わたしはひとりでいる時のわたしを忘れてしまう。エントリーシートに嘘を並べたり、行きたくもない面接について考えたりしている時間が、どうでもいいことのように思えてしまう。
みっちゃんと話す時だってそうだ。ひとりだと歯を食いしばったり枕をベッドに叩きつけたり体が重たくて何も食べる気にならなかったりするのに、それを言葉にして吐き出すと、この世にありふれた、誰の身にも降りかかる小さなことのように感じてしまう。きっと数年後には笑い話になっているだろう。「あの時は大変だったね」と、笑って話せるようになるだろう。
だけど、だけどわたしは今つらくて、それを吐き出してえんえんと子供のように泣きじゃくりたいのに、教授の前だとそれはできない。どうしたっていつもの調子で、いつものわたしと教授の空気を壊せない。だってわたしは、この時間が有限だと知っている。限りある時間を憂鬱な色で染めたくはない。宝泉院に行った時のような、あんな失敗をしてなるものか。あんな思いは二度としたくない。思うがままに感情をぶつけて、この空気を汚してなるものか。
「アニメが有名だけれど、見たことはある?」
わたしは首を横に振った。昔のアニメ特集でちらっと流れていたのを見かけたことがある程度だ。
「でも、話はなんとなく知っています。『このはし渡るべからず』と書いてあるのを、『端を渡るな』と解釈して真ん中を渡ったとか、屏風の虎の話とか」
「『一休咄(ばなし)』という仮名草子集にある話だ。史実とは言いがたいことも多々載っているが、おもしろい話ばかりだよ」
そういえば、最近本を読んでいないな、と気づいた。アニメもドラマも見ていない。わたし、普段何をしているんだろう。企業研究をして、エントリーシートを書いて、説明会や面接に行き、帰ってきたら疲れて寝てしまう。そんな毎日ばかり繰り返している。忙しさに振り回されて、後悔したくないのに。わたしはいつだってうまくできない。
「……有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」
教授が、鳥のさえずりのように言った。一休禅師の歌だ、とつけ足す。
「どういう意味ですか」
「この世はあの世へ行く途中で、一休みしている場所に過ぎない。雨はすきなだけ降るといい、風もすきなだけ吹くといい。どれも一瞬の出来事なのだから、じたばたする必要はない、というような意味だ」
わたしは探るように教授の横顔を見た。教授は庭に目を向けたまま、穏やかな表情を浮かべていた。
再び庭に視線を向ける。緑の深さを眺めていると、風がやわらかく葉を揺らした。鳥が歌うように鳴いたと思ったら、ぽつ、と景色が揺らいで、霧のような雨が降りてきた。
そっと目を閉じ、大きく息を吸った。細く長く、肺から二酸化炭素を吐き出していく。ああ、わたし、今日くらいは休んでいいのかもしれない。将来のことも面接のこともすべて忘れて、ただこの時間を味わっていればいいのかもしれない。
再び目を開けたら、苔の上の雨粒がきらきらと輝いて見えた。いつもより深く、呼吸ができた気がした。
名称 | 地蔵院 |
山号 | 衣笠山 |
院号 | 地藏院(地蔵院) |
宗派 | 臨済宗系単立 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建 | 貞治6年(1367年) |
住所 | 京都市西京区山田北ノ町23 |
アクセス | 上桂駅徒歩12分 |
拝観時間 | 9:00~16:30(最終入山16:10) |
拝観料 (庭園・神像館共通) |
一般大人:500円、小中高校生:300円 |
TEL | 075-381-3417 |
URL | https://www.takenotera-jizoin.jp |
参考 | 最新の情報はHP等でご確認ください。 |