4−7 夏の日ぐらし「西芳寺」
「そろそろ時間だ」
間崎教授の声で、わたしは顔を上げた。海底に沈む直前に、強い力で引き上げられた気分だった。どれくらいこの場所で過ごしていたのだろう。相変わらずわたしたちのまわりには人っこひとりいなくて、鳥や蝉の鳴き声だけが、生命の存在を知らせている。
教授が立ち上がったので、わたしも続いて腰を浮かせた。地蔵院を出て、次の目的地へと向かう。
「今から写経をします」
「写経?」
「どうせしたことないでしょう」
むっとしたが言い返せなかった。そして同時に、なぜか心が軽くなった。ああ、わたしにはまだ、経験していないことがある。
わたしたちが次に向かったのは西芳寺だった。浄住寺から地蔵院へ向かった時と同じように、地蔵院から西芳寺も歩いてすぐだった。西芳寺は他のお寺とは異なり、参拝には事前の申し込みが必要らしい。受付を済ませると、境内の案内図と筆ペンを渡された。どうやらこのペンで写経を行うようだ。そう気づいて少し安堵した。昔から、書道は得意じゃない。
本堂には、写経を行うための机がずらりと並べられていた。係の人に写経用紙と説明書を渡され、「どこでもおすきな席にお座りください」と案内された。少しやり方が変わったね、と教授がつぶやくのが聞こえた。初めて訪れたわたしには、何のことだかさっぱり分からない。
正座になり、写経用紙を机に置く。用紙には薄い文字で「延命十句観音経」という短いお経が書かれていた。どうやらこれをなぞっていくらしい。これなら、漢字に不慣れな外国の人でも大丈夫そうだ。
説明書には、写経を行う際の注意点が記されていた。目を閉じて深呼吸をし、心を平坦に保とうと努めた。波のない海を想像した。朝起きてカーテンを開けた時に見える青空を。毛布にくるまれて眠る、音のない夜を。
静寂が脳に染み込んだところで、目を開けた。筆ペンを持ち、一文字ずつ丁寧になぞっていく。鉛筆で文字を書く時よりもなめらかで、紙の上を滑っていくような感覚だった。最初は身構えていたが、書いているうちにどんどん心が軽くなっていった。重い荷物を下ろしたあとの、あの身軽さに似ていた。
名前まで書き終えて手を合わせたら、ちょうど教授も書き終わったところだった。経机に写経用紙を納めて、本堂をあとにする。
「どうだった」
靴を履きながら、教授が言った。
「思ったより難しくなかったです。あんなに集中して文字を書くの、初めてかも」
「延命十句観音経は最も短いお経なんだ。『誰もが仏の心を持っている』という、仏教の基本を説いているんだよ」
「教授って、本当に何でも知ってますよね」
今更ながら、この人の知識の広さには感服してしまう。単に賢いとか、そういう次元を超えているような気がする。クイズ番組に出たら優勝するかもしれない、なんて俗っぽいことを思う。
「体が凝り固まったら、ストレッチをするだろう。私にとって写経は、心のストレッチなんだよ」
「なるほど……」
固まった心を、解きほぐす。写経をしていたあの時間、わたしの心は確かにのびやかだった。何にも支配されず、不安も浮かばず、やり終えた時にはふっと満ち足りた気持ちになった。最近見失っていた「余裕」というものが生まれたのかもしれない。
庭に入ると、苔が絨毯のように広がっていた。
「すごい、緑一色ですね」
1回生の時、祇王寺を訪れたことを思い出した。あの時は冬だったので、苔の色はどこかさみしかった。しかし、西芳寺の苔は違う。雨を吸った深い緑が、しっとりと一面を染め上げている。
「西芳寺は苔寺とも呼ばれていてね。苔の種類は約120種もあるそうだ」
「そんなに?」
苔だけでそんなに種類があるなんて初耳だ。じっと目を凝らしてみるが、細かな違いは分からない。
「元々この土地には、聖徳太子の別荘があったと伝えられている。夢窓疎石が作ったこの庭園は、金閣や銀閣などの原型になったといわれているんだ」
頭上を覆う葉の重なりのおかげで、暑さはあまり感じない。蝉の声に包まれながら、わたしはゆっくりと庭を歩いた。空を見上げ、池を眺め、シャッターを切って、また歩き出す。京都に来てから、わたしがずっと続けてきたこと。習慣になっていたこと。学生時代、一番頑張ってきたこと。エントリーシートだけじゃ分からない。無機質なオフィスでは伝えられない。今この瞬間のわたしを見てほしい。教授と一緒に京都を巡り、シャッターを切っているわたしを。今のわたしが、一番魅力的なのだから。
ぽつりと頬に雨粒があたった。傘をさすほどではないが、それでも、池の水面をゆらりと揺らしている。
わたしたちは歩調を速め、観音堂の屋根の下で雨宿りをした。細い雨が、わたしたちと景色を淡く隔てる。
本堂に堂本印象の襖絵があること。黄金池は「心」の字になっていること。教授の説明が、1回生の頃よりはっきりと理解できるようになった。それは、わたしに知識が増えたから。経験が、積まれたからだ。
箸がうまく使えるようになること。逆上がりができるようになること。分からなかった問題が解けるようになること。成長はいつだって前進を意味した。できることが一つ増えるたび、誇らしくて胸を張った。できないことはいつだって悔しくて、蜘蛛の糸に囚われているように惨めで、恥ずべきことだったはずなのに。
まっさらな状態に戻れたらいい。京都に来たばかりの、無知なわたしが恋しかった。褒められたいと思っていたのに。この人を驚かせるような聡明さがほしいと、願っていたはずなのに。「無知ではないね」と言われた時、「自分はもう必要ないね」と、卒業証書を渡されたような気がした。
違う、違うの。そうではないの。今のわたしが望むのはそんなことではなくて、そういうことではなくて。ただ、成長することであなたの隣にいられなくなるのなら、これ以上前進しなくていい。居場所がなくなるくらいなら、心地よく退化していきたい。
ふと隣を見ると、教授がじっとわたしの顔をのぞき込んでいた。心配しているようでもあり、探るようでもあった。
「ちょっと、歩き疲れちゃったかもしれません」
わたしは目を逸らし、逃げるように言い訳をした。
「カメラって、結構重たいんですよ。肩も首も凝っちゃうし、傷つけちゃいけないから気を遣うし」
どうでもいいことばかりが口から出てくる。こんなことを言いたいわけではない。こんなことを、伝えたいわけじゃない。わたしの焦りなんてつゆ知らず、教授はそう、と短く相槌を打った。
「なんとなく心が落ち着かなかったり、頭の中に雑念が散らかっている時は、整理するんだ。深呼吸をして、心を無にして、一つのことに集中する。本でもドラマでも写真でも、何でもいい。そうすると、没頭している時は不安について考えていないことに気づく。分かりもしないこと、ありもしないことを想像するスペースがないんだ」
「……教授も」
そこでわたしは言葉を区切った。わたしたちの間にある距離を、測ってみようとした。うまく踏み込むことができなかった、あの頃とはもう違う。そう信じて、顔を上げた。
「教授も、心がざわざわする時ってありますか」
「生きている限り、誰にでもある」
何でもないことのように、教授は笑った。
「写経や茶道、読書に美術館巡り。気を紛らわせようといろいろやった。問題から目を逸らす時間は、決してむだなんかじゃない。そういう時間を経てこそ、たおやかに生きられる」
「たおやか」
わたしは慎重に繰り返した。口の中で転がして、その言葉の意味をじっくり味わおうとした。教授と一緒に過ごして得たものは、もうわたしを子供に戻してはくれない。どうあがいたって、時の流れには逆らえない。
竹情荘に行った時、教授が茶道を習っていたと聞いた。あれは、今のわたしと同じように、心が揺らいでいたからなのだろうか。ご主人が言っていたように、教授にも「どうにもならないこと」があって、それから目を逸らしたかったのではないか。この3年で身についたのは、京都の知識だけじゃない。きっと教授のことも、少しは理解できるようになっている。
わたしは雨に濡れる庭を眺めた。乾いた心を潤すように、苔がどんどん湿っていく。心のストレッチをするように、静かに深呼吸をする。
どうにもならないこと。どうしようもないこと。それらをすべて受け入れて、強く生きていけるだろうか。今はまだ、確信を持ってうなずくことはできない。どんな荒波にも負けない強さがほしい。どんな未来も受け入れるやわらかさがほしい。
今はただ、この人のそばにいられるよう、たおやかであれ。
名称 | 西芳寺 |
別名 | 苔寺 |
山号 | 洪隠山 |
宗派 | 臨済宗系単立 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 暦応2年(1339年) |
住所 | 京都市西京区松尾神ヶ谷町56 |
アクセス | 阪急嵐山線 上桂駅より徒歩15分強 最寄りバス停は「苔寺・すず虫寺」バス停 徒歩3分 |
拝観時間 | 冬季期間(2025年1月7日~2月28日)は日々参拝が休止 |
参拝冥加料 |
下記URLからオンラインまたは往復はがきで事前申し込み |
TEL | 075-391-3631 |
URL | https://saihoji-kokedera.com |
参考 | 最新の情報はHP等でご確認ください。 |