知恩寺・手づくり市

17 文かく我れは「知恩寺」

「知恩寺で、手作り市がやってるよ」
 
そんな友人の言葉をきっかけに、わたしは大学キャンパスのすぐそばにある知恩寺へとやってきた。
 
手作り市とは、毎月15日、知恩寺御影堂前の境内を中心に開催されるフリーマーケットのこと。「手作り」市という名のとおり、仕入れてきたものは原則的に販売できないのだという。なんとなく存在は知っていたけれど、そういえば、足を踏み入れたことは一度もない。今日という今日こそは、空き時間を使って行ってみよう、ということになった。
 
「わぁっ、すごい、おもしろそう!」
 
知恩寺に入った途端、わたしと友人はポップコーンが弾けるように飛び跳ねた。目の前に広がっていたのは、お祭りのような風景。マカロンやラスク、クッキーなどのスイーツから、服やアクセサリーまで、あらゆる手作りの品がずらりと並んでいる。夏の終わり、秋の始まり。さらさらと頬を撫でる風が気持ちのいい午後。大学のキャンパスから少し足を伸ばしただけでこんな風景に出会えるなんて、京都って、なんて贅沢なのだろう。
 
「じゃあ、あたしはあっちの方を見てくるね」
 
友人はそれだけ言い残すと、お目当てのものに向かって猛ダッシュしていった。女子にありがちな団体行動をまったくしないあたり、我々は本当にマイペースだなと思う。
 
わたしはぶらりと人の流れに沿って店を眺め歩いた。お寺でこんなイベントを開催しているなんてめずらしい気もするけど、そうでもないのかしら。まわりにいる人たちはみんな楽しそうで、見ているだけでもおもしろい。
 
「お嬢さん、お味見どうぞ」
 
出店していたパン屋さんが、わたしにほくほくのクロワッサンを差し出してきた。一口かじっただけで、バターの味がじんわりと口内に広がって、何とも言えない幸福感に包まれる。
 
「おいしいです!」
 
「そうだろう。今、どれでもすきなパンが3個で500円なんだよ」
 
「えっと、ではこのクロワッサンと、くるみパンと、あとかぼちゃのパンをください」
 
「お嬢さん、こっちのクッキーはどう?」
 
その隣にいた店主が、ここぞとばかりにまた試食を差し出してくる。そんなに勧められたら食べないわけにはいかない。
 
「これもおいしいです。どうしよう、じゃあこれとこれを……」
 
「お嬢さん、こっちのラスクは……」
 
あら、なんだか、どうしましょう。歩けば歩くほど店の主人に呼びとめられて、気がつけば財布の紐がゆるんでしまった。今日だけ、今日だけ……そう、ちょうど、おやつの時間だし。なんて思っていたら、気がつけば、わたしの両手は買い物袋でいっぱいに。
 
「琴子、そんなに買ったの?」
 
一通り買い物を終えて入り口に戻ると、合流した友人が、あきれたように息を吐いた。彼女の手にはかわいらしいネックレスやピアス。一方わたしが持っている袋の中身は、見事に食べ物だらけ。これが、女子力の差というやつか。
 
「あの、よかったらこのクッキーとか……」
 
「いやだよ、あたし、ダイエット中だもん。あっ、次の講義始まっちゃう、先行くね!」
 
「あっ、ちょっと……」
 
無情な友人は振り返ることもせず、慌ただしくキャンパスへと走っていった。あとに残されたのは、両手に大きな買い物袋をぶら下げた、わたし。今日はもう講義がないので、自宅に帰るだけだ。背後から、手づくり市を満喫している人たちの楽しそうな声が聞こえる。このまま家に帰って、ひとりさみしくお菓子を食べるのもなんとなく、物悲しい。
 
ふと、とある男性の顔が思い浮かんだ。顔と性格に似合わず、甘いものがすきな、あの人だ。
 
 
 
 
 
1回生のわたしはまだ、専門科目の講義はないので、文学部という名前のわりに、文学部棟にはあまり立ち入る機会がない。エレベーターで7階に上がると、講義中だからかしら、灰色の廊下には、南キャンパスに比べて厳かな空気が漂っていた。
 
足音を立てないようにそうっと歩いて、「間崎八束教授室」と書かれた部屋の前に立つ。今、担当している講義はないはずだから、予想があたっていればきっと、ここにいるはず。
 
コンコン、と2回ノックを鳴らすと、中からはい、と小さな返事が聞こえた。
 
扉を開けた途端、コーヒーの香ばしいかおりが鼻をくすぐる。それに、古びた書物の、過去のにおい。
 
壁一面に並べられたありとあらゆる書物が、この部屋の主の脳内を表していた。これほど物が多いのに、部屋全体は図書館のようにきちんと整理されている。主は静寂を壊さぬように、自分の存在を薄めながら、ひっそりと、奥の机でペンを動かしている。前髪の間からのぞく瞳が、見たことのないほど優しくて、びっくり、した。大切に育てた花を慈しむような、柔和な表情を、していた。
 
足を動かせなくて、人形のように固まっていると、茶色がかったその瞳がわたしを捉えた。どうしたの、と言いたげに、前髪が流れる。
 
「……またサボりか」
 
「サ、サボりではありません。……あっ」
 
我に返って近づくと、教授の机にかわいらしいマカロンが置いてあることに気がついた。
 
「そのマカロン、もしかして、手作り市で?」
 
「ああ、今朝買ってきたんだ」
 
「わたしもさっき行ってきたんです。お菓子を買いすぎてしまったので、教授におすそわけしようかと……」
 
「……何だ、その小学生みたいな理由は……」
 
「そ、そんなばかにしなくても……教授のためを思って持ってきたのに!」
 
かあっと頬が熱くなって叫ぶと、教授は堪えられなくなったようにくすくすと笑い出した。立ち上がって、棚からマグカップを取り出す。
 
「そこに座りなさい。食べるのを手伝ってあげるから」
 
まったくもう、いつもそうやって、からかって。
言われるがまま椅子に腰かけ、手前にある大きな机の上に、買ってきたお菓子をずらりと並べた。クッキーやブラウニー。ラスクやクロワッサン、そして、教授とおそろいのマカロン。知識の海に似つかわしくない、カラフルなおやつが、サンゴ礁のように広がっていく。
 
ちょっと体を固くして、飲み物を用意してくれている教授を、待つ。何気なく教授の机に目をやると、マカロンの隣には、秋色の封筒と、ひっくり返された便箋が置かれていた。これからの季節を期待させるようなもみじ柄の封筒と便箋が、なんだか教授に似つかわしくなくて、あら、この人、こんなかわいらしい便箋で手紙を出すのね、意外だなぁ、なんて、ぼんやりと思った。
 
誰に手紙を書いていたんですか――そう尋ねそうになった口を、 そっと塞いで、わたしはお菓子に視線を戻した。なんとなく、聞いても、はぐらかされそうな気がした。しぃん、と狭い空間で鳴り響く静寂が気になって、そわそわしていたら、わたしの緊張をほぐすように、とん、と目の前に紅茶が置かれた。
 
「ありがとう、ございます」
 
ぎこちなくお礼を言って、紅茶の入ったマグカップを両手で包んだ。教授は自分の机からコーヒーを持ってきて、わたしの目の前に腰かける。そっちの方が、すきでしょう。そう、言いたげに、口の端が少し上がった。
 
わたし、コーヒーよりも紅茶がすき、なんて、言ったことがあったかしら。何にも言っていないのに、全部分かっているから、ずるいわ、この人。
 
淹れたての紅茶を一口、飲む。体の奥からじんわりと、あたたかさが広がって、心がほっとやわらいでいく。
 
現在、4限目の講義中。誰にも内緒のティータイム。ほんの少し特別で、なんとなく、優越感。たまにはこんな風にのんびりと、お茶をするのもいいかもしれない、なんてね。
 
 

名称  知恩寺
正式名称  長徳山功徳院知恩寺
山号  長徳山
宗派  浄土宗大本山
住所  京都市左京区田中門前町103
電話番号  075-781-9171
URL  http://hyakusan.jp
アクセス ・JR京都駅より市バス《206系統》《17系統》百万遍下車
・京都市地下鉄烏丸線今出川駅より市バス《201系統》《203系統》百万遍下車
・京阪電車京都線「出町柳駅」下車 徒歩10分
・阪急電車京都線「四条河原町駅」下車 市バス《3系統》《17系統》《201系統》にて百万遍下車
参考 百万遍さんの手づくり市(毎月15日、午前8時~午後4時、雨天決行)
http://www.tedukuri-ichi.com

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